バーンハナの軌跡⑥

【中京大学ラグビー部】 

ラグビー推薦で入った中京大学だったがラグビー部の練習は高校時代に比べるとあまりにも楽だった。 
私の気持ちは高校時代の栄光をもう一度つかみたい。 
そして高校3年の時に試合に出してくれなかった山口先生を見返したいという気持ちで一杯だった。 

しかし、「中京大学ラグビー部を全国でも有名な大学にしてこいよ」と言って送り出してくれた先生には

申し訳ないが応える気持ちにはならなかった。 
なぜならこの練習量で、そして何といっても自分自身のポテンシャルは怪我から復帰して以降はすでに
ベストな状態ではなかったからだった。 
ただどうしても見返したい気持ちは増幅する一方だった。 

【父親の死】 

大学2年になった。ラグビーの練習も身に入らない日々が続いてた。

夏が来て14日間の合宿2日目に母から突然電話がかかって来た。 
「お父さんが、お父さんが、早く帰って来て」 
気が動転してまともに喋れない母の態度に合宿所を後に家路に着いた。 
父は心臓発作ですでに亡くなっていた。49歳だった。 
父の慰霊の横には山口先生が目を真っ赤にして座っていた。
父の愛犬はいつまでも鳴いていた。 
私は人目につかぬよう公園で泣いた。19歳の時だった。 

【解放感】 

父の葬儀も終わり気付けば9月も半ばが過ぎていた。 

大学も辞めて働こうと思っていたが、山口先生の勧めと母の後押しで大学は行くことになった。 
裕福な家庭ではなかったので奨学金制度を使った。 
ラグビーは生活費と奨学金を返すために出来ないと山口先生に言ったが、
それでも構わないと推薦入学したにもかかわらず特例で大学
に行くことが出来た。
 
大学側に先生が掛け合ってくれたらしい。 

私はその時、いよいよ先生を見返すことが出来る。今まで嘲笑ってきた連中を見返すことが出来ると 

【見返すために】 

誰もが見返すために何をどうすべきか。

そればかりか考えていた。
 
そして出た答えは「金持ちになること」 
「皆が羨ましがる家に住むこと。車を乗ること」 
「そして皆が羨む美人を連れて歩くこと」 
今から考えると恥ずかしいことばかりだが、そればかりが頭に浮かんだ。 
そして計画を叶えるべく実行に移していくことになった。。。 
~続きます~