続バーンハナの軌跡④
『バーンハナ草津イオン店』
【決定です】
H所長にNさんの残留条件を話してみた。
そう簡単に営業など募集してないと思っていたが、意外なことにあっさりと運営会社の営業に採用される
ことになった。
後から聞いた話では有るが、このエリアの営業が辞めてしまい、人手が欲しかったらしい。
こうして営業としてH所長の下で働く事が決まった。
1999年、宇多田ヒカルのautomaticが衝撃的だった年はじめだった。
【担当】
A社は関東に本社を置く、この業界では一番の会社だった。
全国に営業所を置き、北は東北から南は岡山までを拠点としていた。
地方では本社についで関西を拡大していこうと施策をしていた矢先だった。
関西は大阪の大国町を拠点に兵庫、京都と数十店舗のサウナのマッサージコーナーを
運営委託で営業していた。
そこの管理をH所長が一人でやっていたわけだ。
この数を管理するのは素人の私でも無理だとすぐにわかった。
治安がお世辞にも良いとは言えない大国町のマンションの一室の事務所に毎日通ってレクチャーを
受けた。
仕事内容は極端な話し、雑用から集計まで。
お客さんや施設からクレームが入ると夜中で有ろうと施設まで駆けつけて対処をした。
スタッフ同士のいざこざにはほとほと手を焼いた。
これは重労働だ。
普通のサラリーマンの感覚なら劣悪すぎて3日持たないだろう。
所長から営業で入った社員は何人も辞めていったことを聞いてはいたが、この状態ではそうなるだろうな~
私も追い詰められてはいたが、その度にNさんと共有した思いの約束を思い出し、何とかより良い環境を
作るため踏ん張った。
【発言力】
少しでも現場スタッフが胸を張って安心して仕事を続けていける環境を作るのだ。
そして、この環境を実現するには月に1回の本社会議での発言力が必要だった。
発言力とは即ち役職だ。
役職が上になればある程度の権限が与えられることがわかった。
この会社で役職に付くには、大きな利益を会社にもたらすことが一番必要だった。
それ以降、私は関西エリアを本社に負けない規模にし、役職を得るために寝る間も惜しんで
拡大営業に力を注いだ。
役職を手に入れるため。
環境を変えるために。。。
体が疲れたときはNさんが足裏マッサージをしてくれた。
落ち込んだ時は自分に期待してくれる現場のスタッフが励ましてくれた。
そんなNさんや、現場のスタッフが元気と勇気を与えてくれたことが、一番の遣り甲斐だった。
だから頑張れたと言っても過言ではないだろう。
皆ありがとう。
そしてやる気のオーラは毎日パワーアップしていった。。。
~続く~